ごあいさつ

真岡教会 紹介

真岡教会の歴史は、1928年ごろの開拓伝道に遡り、1930年に前身としての教会が発足しました。
1939年に地元の真岡教会出身の橋本藤一師が妻梅子師と共に任命され、1998年まで長きにわたり伝道、牧会にあたられました。

その間、多くの副牧師や修養生が真岡教会に遣わされ、橋本師夫妻とともに宣教の働きが続けられてきました。
1999年以降も多くの牧師が真岡教会に遣わされ、2024年からは工藤公義牧師が任命を受け、新たな歩みがスタ-トしました。

2026年には念願の新会堂が与えられ、2030年に教会創立100周年を迎えます。
真岡教会は、聖書を神のことばと信じるプロテスタント・キリスト教会です。『教会は初めて』という方も教会を探しておられる方も、真岡教会においでください。

心からお待ちしております。


「神は、実に、そのひとり子(=イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(=あなた)を愛された。それは御子(=イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

(聖書「ヨハネの福音書」3章16節)

※これは、キリスト教徒たちが聖典としている「聖書」の一節です。()の中は、「私たちの信仰は、こう考えて読む」と言う補足になります。

工藤 公義主任牧師 プロフィ-ル

1968年、北海道網走市生まれです。大学卒業後、玉川聖学院(東京)で英語の教師として、4年間勤め、その後、アメリカの神学校に留学しました。

帰国後、基督兄弟団聖書学院に編入、卒業し、牧師となりました。これまでに茨城県下館市(現在、筑西市)、北海道北見市、愛知県扶桑町の教会で牧師をしました。

2012年から境教会(茨城県)に遣わされ、2024年からは真岡教会の主任牧師(兼務)も受けました。 妻と息子の3人家族です。

工藤 公義牧師からのメッセージ

人はひとりでは生きられません。だから私たちはつながりを求めます。けれども「無縁社会」ということばが表しているように、私たちが求めているのとは逆に、夫婦・親子の関係にしろ、地域・近所との関係にしろ、友だちとの関係にしろ、さまざまな人と人の関係が薄くなり、つながりが失われていく時代に私たちは生きているように思います。

教会は年齢、性別、職業、あるいは趣味を超えて、素敵な交わり・つながりが与えられる神さまの恵みと祝福に満ちているところです。イエス・キリストは私たちが自らの罪ゆえに失ってしまった神との関係・隣人との関係を和解へと導き、再び回復してくださるお方です。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(=イエス・キリスト)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

と、イエスさまはあなたを招いておられます。

私が教会に来たキッカケ

A.B.さん(50代 男性)

私はこの町に40年以上住んでいます。

私の実家は、宗教的には仏教徒を名乗っているものの、お正月は神社へ初詣に行き、クリスマスは家でパーティーをし、祖父母のお墓は地方のお寺にあってお墓参りや法事に行く、といった日本ではごく一般的な家庭でした…続きを読む

C.D.さん(40代 女性)

今から25年前、私はカナダで初めてキリスト教会に行きました。語学学校に行ったのですが、そこで知り合った方から「現地の方と知り合いになれるので一緒に教会の日本語部に行ってみないか」と誘われたことがきっかけでした。

キリスト教には興味はなかったのですが、礼拝の中で日本人の婦人宣教師が、自分が派遣されるまでの経緯を話され、何の援助もない中で神様の導きを求めて祈り、派遣先との関係や費用など必要なこと全てが与えられたという話をされました。

私はその話を聞いて、キリスト教にはこんなふうに神を頼り、その神に祈りを叶えていただくという生き方をしている人がいるのかと驚かされました。そしてキリスト教の神とはどんな神なのか知ってみたいと思いました。

しかしこの教会に行くのに1時間半かかり、朝が弱い私には無理だろうと思いましたが、不思議なことに日曜日の朝になるとすぐに目覚めることができ、気づくと毎週欠かさず礼拝に行き、聖書の学びやお祈りの会にまで参加していました。

その中でキリスト教の神は愛のお方であり、また義なるお方であることを知りました。

カナダから帰国後、私は教えていただいた教会に行き、洗礼を受けました。それ以来、神様はいつも私と共にいてくださり、私を守り、助け、導いて下さっています。

E.F.さん(60代 男性)

30年ほど前のことになりますが、私は京都で仏教系の職場で仕事をしておりました。

クリスマスのシーズンだったのですが、街を歩いているとカトリックの教会があることに気づき、ちょうどミサの時間だったので興味を持ってミサに参加させていただきました。

というのも、普段は仏教関係の仕事をしていて、他の宗教にも興味があったからでした。そのカトリック教会のミサの荘厳な空気に触れ、キリスト教というものはいったいどんな宗教なのだろうかとますます興味が湧いてきました。

そののち職場が変わり引っ越したのですが、ミサの体験が忘れられず、家の近くのプロテスタント教会に通いだし、やがて信じるようになりました。

その後、仕事の都合で移り住んだ町で、ネットで調べて感じが良かったこちらの教会に通うようになりました。